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こんにちは、としぶんです(@toshibunbun)。
みなさんのなかでもご存知の方は多いでしょうけど、「双極性障害」という名称が「双極症」に変わるようです。
難しいことをいうと双極性障害って英語では「Bipolar disorders」と言って、「disorders」が「障害」に当たる言葉なんですね。
でもどうも英語で使われている「disorders」と雰囲気が違うぞってことで、「障害」ではなく「症」と訳しましょうか、ということなんです。
賛否両論あるとは思いますが、わたしは名称変更に関してはおおむね賛成なんです。しかし忘れてはいけないポイントがあると思うのです。
あくまでサポートしている家族の一人の意見として双極症と名称変更になればどうなるのか考えたいと思います。少々長くなりますが、最後までお付き合いください。
名称変更「痴呆症→認知症」のときはこうだった
私は2000年ちょうどから2017年まで、とある社会福祉法人で老人福祉の仕事をしていたのですが、その間に名称変更がいくつかありました。
精神分裂症から統合失調症。
痴呆症から認知症。
特に痴呆症から認知症になったことは、老人福祉の仕事をしていた私にとって、ものすごく大きな出来事でした。
当然ながら老人福祉の仕事をしている私たちは、名称変更に合わせて痴呆症のことを認知症と呼ぶようになり、日々の記録などにおいても「認知症」と記載するようになりました。
最初はなかなか慣れない状況でしたが、1ヶ月もすると「認知症」という名称が当たり前のようになってきました。
ただこの時期に「認知症の人と家族の会(当時は呆け老人をかかえる家族の会でした)」に所属している人とお話をしている中で聞いたことが、未だにものすごい印象となって残っています。
今後「双極症」に名称変更されるうえで、とても重要なポイントとなると考えていますからご紹介したいと思います。
「認知症」と名称変更後も「呆け老人をかかえる家族の会」と名乗っていた理由とは
「認知症の人と家族の会」は今や全国組織となっていますので、多くの人に知られた存在だと思います。
家族の会ではこの名称変更当時、痴呆症が認知症に名称変更した後も数年間、「呆け老人をかかえる家族の会」のまま活動されていました。
私が直接聞いた理由は
「認知症という名称に温かみがない」
「本人だけが注目される」
ということでした。
これはあくまで家族の会に所属されている一個人の方にお聞きしたご意見ではありましたが、おそらくそのような気持ちを持っていたご家族が多かったのだと思います。
今でこそ認知症に対する理解が少しずつ進んではいますが、この名称変更があった当時はまだまだ理解されていない時代でした。介護保険も始まってまだ数年の状況でしたから。
そんな中でも認知症の人の家族の方は日常の介護を通じて、
「認知症であっても生きている」
「認知症であっても心は通じる」
と訴えられてこられたのです。
つまり今日の認知症の理解が進んだのは、ある意味認知症の介護をされてきた家族の功績ではないでしょうか。
この家族の会が「認知症」ではなく「呆け老人」という名称にこだわったのは、名称のインパクトによって家族にスポットライトを当てるべきではないのかと考えたのだと思います。
「双極性障害」が「双極症」になるとどうなる!サポート視点で考えてみた
さて、ようやく本題なのですが、先ほどの「痴呆症」から「認知症」の例も踏まえて考えてみたいと思います。
「躁鬱病(躁うつ病)」から「双極性障害」になった経緯は
もともと双極性障害は「躁鬱病(躁うつ病)」でしたから、「双極症」になるなら2度目の名称変更となります。
なぜ「躁うつ病」から「双極性障害」にする必要があったかというと、さまざまな理由はありますが一つに「うつ病と違う」という見解があったようです。
躁うつ病は「躁」と「うつ」の2つの病気を併せ持っているが、うつ病とは違う、あくまで一つの病気なんだという理解が進んだと言われています。
(参考:地域精神保健福祉気候 時代によって、病名が変わるのはどうしてか?)
わたし自身も躁うつ病の妻のサポートをしていて、明らかにうつ病とは違う認識を持っています。
この認識が正しいのかどうかは分かりませんが、うつ病と違う病気であるという理解は進んだ方がいいように思います。
「双極性障害」から「双極症」へ~イメージはかなり変わるのでは?
「双極性障害」から「双極症」に変わるということですが、「障害→症」ということですから、かなりイメージが変わるように思います。
これはあくまで躁うつ病の妻を見ていて思うことですが、「障害」という状態にはギャップがあるように思うのです。
じゃあ「障害」ってなに?「症」ってどういう状態なんだと問われると、わたしは定義付けすることはできません。あくまで「症」のほうが妻の状態とマッチするように感じるということです。
もちろんわたしが勝手に感じているイメージかもしれませんので、やはり賛否両論あるのではないかと感じます。
実際に双極性障害で悩まれている人から、名称変更に対する意見をお聞きしたいですね。
「双極症」はサポートしている家族としてどうなのか
あくまで病気の妻視点ではなく、サポートしている家族視点でこの名称変更を考えてみたときに、「双極」自体が病気の理解がしにくくなったのではないかと感じます。
一般の人に「双極」って分かりますかね?
簡単に言うと、「躁」と「うつ」の両極のことですよね。要するに簡単にいうと「躁うつ」なんですよ、これは。
誰しも気分のアップダウンはありますが、双極性障害の双極ってそんなもんじゃない。
むしろ「双極」という言葉が普通になると、余計に双極性障害への正しい理解がされないようにも思ってしまいます。
このブログでも書きましたが、妻は「躁」のときには暴れる・叫ぶ、「うつ」のときにはひたすら寝る、これを繰り返すわけです。
本人はもちろん大変ですが、それを支える家族も大変な訳なのです。
それを「気分のアップダウンでしょ」なんて言われたら、この病気を支える家族としては理解されていないとしか思えない。
結論~サポートしている家族を置き去りにしてはいけない
結論なんて言っちゃいましたが、名称変更の結論をわたしが述べてはいけませんよね。
でも「認知症の人の家族の会」が考えたことと同様に、精神疾患も本人だけではなく、家族も置き去りにしてはいけないということです。
わたしはツイッターをはじめて、双極性障害のサポートをしているご家族とやり取りするようになりましたが、なかなかどうしてみなさん大変な思いで対応していらっしゃる。
名称変更は賛否両論でいいと思いますが、家族のサポートも真剣に考えるべきではないでしょうか。
良ければとしぶんまでご意見をお聞かせくださいね(@toshibunbun)。