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こんにちは、としぶんです(@toshibunbun)。

わたしはもともと主任ケアマネジャーとしてケアマネジャーを指導する立場として、社会福祉法人に長く勤めていました。
所有資格は「主任ケアマネジャー」「社会福祉士」「介護福祉士」。
ほかにもスキルを高めるために「福祉住環境コーディネーター2級」「ファイナンシャルプランナー3級」「生涯学習インストラクター2級」を所有しています。
いまは妻をサポートするためにフリーランスとなり、WEBライター、コンテンツ作成、WEB集客コンサルタントなどで生計を立てています。
参考にこちらの記事もご覧くださいね!
妻をサポートするとはいえ、とても大変な毎日を過ごしています。そのためその毒を吐くためにこのブログやツイッターを始めることにしました。
わたしがどのような人間なのか、少々自己紹介していきたいと思います。
妻の精神科への入院がわたしの人生も変えるきっかけに
わたしの妻は、2013年に躁うつ病(双極性障害Ⅰ型)を発症し3ヶ月の入院、2016年にも悪化し2か月の入院。
2019年1月現在においても薬を服用し、定期的に通院している状態です。
このプロフィールを書いている時点で、最初の入院から6年が経過しました。早かったような長かったような時間です。
わたし自身、辛かったこと、悲しかったこと、もうダメだと考えたこと、妻と離婚しようと考えたこと、いろいろありました。
しかし、どれだけ辛いことがあっても、「ほんとうに辛いのは妻」であると考えて、自分の考えは封印してきました。
でも自分自身の想いを吐きだす場所が欲しかったので、 このブログを始めました。辛いのは妻であることはもちろん理解していますが、だからといってわたし自身が自分の想いを封印することができなくなったのです。
恐らく、精神疾患をお持ちの方でご夫婦の方は、いろいろな悩みをお持ちだと思います。実際に離婚したご夫婦もおられるでしょうし、別居されたり、関係が破綻している人もいるのではないかと考えます。
正直申しますと、そのような気持ちになることは理解できます。病気のことは理解するようにしていても、やはりサポートする側も限界があるからです。
そんな想いを持って、このブログとツイッターを同時に始めました。するとどんどん自分自身の気持ちが整理され、何となく妻の理解もできるようになってきたのです。
正直、「一生、妻を支えていこう!」という勇気はありません。みなさんに叱られるかもしれませんが、わたしは1日1日精一杯です。
でも妻も精一杯なんだなと考えることができるようになったのが、このブログを始めてからなのです。
最初は、妻に対する毒をどんどん吐いていくつもりでしたが(笑)、今では同じ病気で悩む人や、同じ辛さを抱えているご家族のために何かできればという気持ちでこのブログを執筆できるようになりました。
2013年躁うつ病(双極性障害)による最初の入院
2013年には、3ヶ月間入院することになりました。初めての入院です。
妻はもともとうつ病持ちで、この入院前の数年前から少しずつうつ症状が悪化していました。家事ができなくなり、寝て過ごすことが多くなりました。
当時、2人の子供たちは幼稚園と小学校低学年。妻にとってはかなり負担だったのでしょう。
またわたしは当時かなり仕事が忙しく、帰宅は遅い時間が当たり前でした。そんな環境が妻を追い込んでいったことは間違いありません。
入院前、1か月あたりから、妻の行動や言動にはっきりと変化が見られました。もう妻自身で正常な判断ができなくなっていたのです。
「携帯電話は盗聴されている」
「子供たちの小学校では間違ったことを洗脳している」
「(置いてある本を見て)こんな本には嘘ばかり書いてある」
「(夫のわたしに対して)隠しごとをしている」
このようなことを頻繁に言うようになりました。また行動としては、
- 金遣いが荒くなる
- ハイテンションになって夜に眠らなくなる
- 性欲が高まる
- イライラすると大声で泣き叫ぶ
このような行動が見られるようになりました。そしてわたしは精神科への受診を決意します。今から思えば、この状況まで精神科の受診をしなかったのは遅すぎで、わたしの責任であることは間違いありません。
地元で有名な精神科病院に受診に行くと、その場で入院が必要だと告げられました。
心から妻に対して申し訳ない気持ちになりました。今でも思い出すだけで、涙が出てきます。
2016年、2度目の入院
2013年の入院から、きちんと通院し服薬もし続けていましたが、2016年に2度目の入院をすることになります。
一度目の状況よりは悪くはありませんでしたが、やはり1週間ほど完全に眠れなくなり、わたしもこれ以上自宅で生活することは困難だろうと考えました。
主治医の先生と相談しながら自宅で生活していましたが、どうしても眠ることができず、躁転も見られましたので入院となったのです。
一度目もそうでしたが、閉鎖病棟での治療はやはり周りからみているとかわいそうになります。治療はすべて受け入れる気持ちではあるのですが、それでも正常な気持ちで入院生活を見届けることはできませんでした。
個室は綺麗でしたが、外側からカギをかけられる姿をみると、どうしても涙が出ます。
こんな過去記事も読んでみてください~妻は隔離部屋で身体拘束された~精神病院での身体拘束の実態を大暴露
ちなみに妻は子供と会いたそうにしており、もちろん子供も会いたがっていましたが、病棟で会うことは避けました。病院の関係者とも相談して、お互いのためにそう判断したのです。子供たちには見せないほうがいいのかなって。
夫のわたしもストレス性の不安障害、意識消失を経験~仕事ができなくなった
もともとわたしは過去に電車に乗れない、狭い部屋に入れない、夜眠る際に恐怖を感じる、といった不安障害になったことがありました。
父を突然死で亡くした経験からこのような症状が出現したのです。
そんな経験もあって、妻の病気に対する不安がとても大きくなっていました。「私が支えなきゃ」と必要以上に感じていたのです。
今思えば、そこまで肩を張る必要もなかったのですが、それでストレスがたまっていたのでしょうね、道端で意識消失してしまいました。
しかも運悪く、自転車に乗っているときに意識消失して、頭を地面に強打しました。意識が回復した際には、頭から血が流れでている状況でした。
すぐに救急車で運ばれて、処置や検査を行いましたが特に問題なし。数日の入院を経て退院となりました。
意識消失は一過性のもので大きな病気は見つかりませんでした。しかし病気が見つからなかったことで逆に不安になってしまい、健康に対する自信を失くしてしまいました。
車に乗ることができなくなり、仕事をしても不安ばかりが増すようになったのです。職場は理解があり、役職を外してもらえ、部署も楽なところに配属となりました。
しかしそれでも仕事を続けることができなくなり、2017年5月に退職することになりました。
妻を支えながら、フリーランスになる
2017年5月からは、妻を自分のペースで支えることができるように、フリーランスとなりました。自分自身も負担なく、妻を支えていこうと思ったからです。
フリーランスではWEBライターとして活動を始めました。幸い、わたしは以前から記事を書くことが好きでしたので、性に合いました。
スキルを高めるためにWEB集客やSEOについても学び、現在はWEBライターとしてだけではなく、WEB集客の相談を受けるコンサル的な仕事も受注できるようになりました。
良かったらこんな過去記事も読んでください~夫の私はフリーランス~サポートしているご家族や復職を目指している人におすすめの働き方
わたしはもともと医療・福祉の業界で仕事をしていました。その世界については専門知識を有していますので、今でもその経験を活かしてWEBライターとしてコンテンツを作成しています。
※現在、メンタルクリニックなどからご依頼を受けて、定期的にコラムの執筆などを行っています。ご依頼などがありましたら、ぜひ直接お問い合わせください。
これからも妻を支えていきます
こんなわたしですが、これからも妻を支えていこうと考えています。
わたしのモットーは「温かく無関心」。このスタンスが丁度いいですね(笑)。
同じ病気を抱えている人や同じようなご家族様と関わっていけたらいいなあと考えています。