こんにちは、としぶんです(@toshibunbun)。
先日、このようなツイートをしました。
わたしの妻はこの通りなんですが、愛情を人に注ぐことって大事なことだと思うんです。
今回は、いつも妻に対して毒を吐いているわたしが、「愛情」について心理学的にお伝えしていきます。
躁うつ病の妻に学ぶ愛情降り注ぐ大事さ
ホントに妻は子供に対しては、ものすごく愛情を注いでます。子供たちにとっては、いいお母さんですね、まあ子供たちはどう思ってるのか分かりませんが(笑)。
妻が躁うつ病という病気になって、周りになかなか理解されないということは実感していました。恐らくわたしよりも妻の方がそこには敏感だと思います。
冒頭にも書きましたが、人って認められたいでしょ、理解されたいでしょ。これ、やっぱり本音だと思うんですよ。存在を認められることが、自分自身で尊厳を自覚するときなんじゃないかなって。
それって、マズロー心理学で言う承認欲求ですよね。やっぱり本質としては、この心理学通りなのでしょうね。
でも子供たちへの愛情のようにはいきませんけど、人に対して愛情を注ぐことって大事だと思うんですね。
承認欲求よりも貢献力
そういえば昔、「夜回り先生」水谷修の講演に行ったときに、引きこもりしている子供たちに大事なことは「人に愛情を注ぐこと」って言ってました。
引きこもりしている子供って「自分のことを誰も理解していない」っていうじゃないですか。水谷先生は、例えばお父さんの靴を磨くだとか、お母さんの家事を手伝うだとか、何か貢献することで感謝され、自分の存在感を見出すことができるんだって言われてたんですね。
これって、まさに人に愛情を注ぐことの大事さじゃないでしょうか。
またわたしが読んだ本で「嫌われる勇気」って本があります。ベストセラーになりましたから、みなさんもご存知かもしれません。
この内容は、アドラーの心理学が出てくるんですが、アドラー心理学では、先ほどの「承認欲求」を否定しているんですね。
「人から認められることを求められるのではなくて、人に対して貢献することが大事。すべては貢献力。」という心理学なんです。
これってまさしく「愛情を降り注ぐ大事さ」じゃない?
妻の子供たちに対する行動を見ていると、そんなことをいろいろ思い出して、人に対して少しでも自分が何か役に立たないといけないなあと感じました。
最後に
「理解してほしい」とはいうものの、なかなか自分は人のことを理解できないじゃないですか、正直。
でも、みんなが少しでも周りに対して愛情を注ぐことができるのならば、きっと妻のように躁うつ病など、病気を患っている人が住みやすい社会になるんじゃないのかな。
やっぱ、愛されるよりも愛することが大事だよ。わたしはいいおっさんだけど、そんな気持ちになった一日でした(笑)。